永山基準は見直すべき
死刑判決に絡むニュースが立て続けにありましたね。
熊谷6人強殺、死刑判決破棄して無期懲役 東京高裁
https://www.asahi.com/articles/ASMD556BTMD5UTIL026.html
大阪・心斎橋通り魔の無期確定へ
https://www.sankei.com/affairs/news/191202/afr1912020028-n1.html
新潟女児殺害、小林遼被告に無期懲役判決 新潟地裁
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191204-00000039-asahi-soci
どの判決も、一般市民の感情からすると受け入れられない。
しかし。
裁判官を責めてはいけない。
ニュースへのコメントを見ると、裁判官を責めているコメントが多々見られるし、中には裁判官の名前を挙げて批判している輩もいる。
これはやってはいけない。
裁判官だって人間です。
多分、感情的には死刑判決にしたかったかも知れない。
でも、そこで裁判官が感情に流されてしまったら、それこそ裁判の意味が無くなってしまいます。
自分は法律を勉強した訳でも無いので、裁判云々について詳しくはありませんが、民衆や独裁者に任せてしまうと感情に任せて袋叩きのようになってしまったり、暴走してしまいます。
それを防ぎ、公平に裁くことが裁判の意義なのでしょ?
だから、とにかく民衆の感情に流されてはいけないのです。
しかしながら、では裁判員裁判制度の意味は何なのか?
多くの人が言っているように、結局意味が無いんじゃないか?
そう考えてしまいます。
私も個人的には、全員死刑にすべきだと思います。
特に、新潟の女児殺害事件。
いや、6人も殺しておいて死刑にならない熊谷の事件だっておかしい。
あともう一つ、これも絶対死刑にすべきです。
乗客殺傷、謝罪の気持ち「ない」 新幹線事件で小島被告
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191205-00000115-kyodonews-soci
裁判官の話しに戻りますが、裁判官は「公平に」が大原則でしょう。
過去の判例などに照らし合わせて判決を下すのは仕方がないのです。
だって、似たようなケースなのに、
「なんであっちの事件は無期懲役なのに、自分は死刑なんだよ!」となるのは公平ではありませんし、どんな犯罪者であっても基本的人権は守られないといけません。
「だったらお前の家族、子供が殺されたらどう思うんだ!」
そんな書き込みも良くみかけます。
そりゃあ自分だったら犯人殺すかもしれません。
というか、自分のすぐそばでそんな事が起きたら殺すでしょう。
「だったらお前の家族が・・・」
そう思う気持ちは当たり前です。私だってそう思います。
でも、それでは裁判の意味が無くなりますよね。
さて、死刑の話になると、永山基準とかいうのが出てきます。
裁判官も、この基準に照らし合わせて判断しているようです。
特に、殺めた人数が話題になりますよね。
永山基準を読むと、決して人数だけで判断すべきと言っている訳ではありません。
ただ、特に人数の話だけが一人歩きしているようにも思えます。
永山基準は、
(1)犯罪の性質、(2)動機、計画性など、(3)犯行態様、執拗(しつよう)さ・残虐性など、(4)結果の重大さ、特に殺害被害者数、(5)遺族の被害感情、(6)社会的影響、(7)犯人の年齢、犯行時に未成年など、(8)前科、(9)犯行後の情状の9項目を挙げ
https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B8%E5%B1%B1%E5%9F%BA%E6%BA%96-188939
と書かれていますので、人数はそのうちの一つにすぎません。
ですから、永山基準すべてを否定するわけではありませんが、この「特に殺害被害者数」というのは基準から外すべきだと思います。
例え一人だけでも、残虐性という意味では言葉で言い表せないほど酷い事件がいくつもありました。
私の記憶にある事件でも、闇サイト殺人事件。
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201612_post_11742/
こんな残虐なことに加担した奴らは全員死刑にすべき。
他にも、
https://www.iza.ne.jp/smp/kiji/events/news/131008/evt13100818360046-s.html
https://www.sankei.com/premium/news/161126/prm1611260007-n1.html
これらは記憶になかったのですが、調べていたらたまたま記事をみつけました。
こんなにも残虐なこと、“人”が出来るなんて想像もつきません。
これらの裁判の結果までは読んでません。
とても読めませんでした。
人を殺める理由について、
そんな事を書くのも嫌ですが、
でも理由は様々です。
全ての殺人を死刑にしろとは言いません。
中には本当に可哀そうな殺人もあります。
ご存知の方も多いと思いますが、
https://www.dailyshincho.jp/article/2016/11161130/?all=1
ここで例として挙げるのも躊躇しましたが。
この人を殺人者だからと言って死刑にできますか?
永山基準に戻ります。
何をどうしたら良いのかわかりませんが、どうしてもやり切れない気持ちがあります。
人数では無い。
そして、どこかの時点で、もう一度死刑の基準を見直すなり、裁判員制度の意味を見直す必要がありそうです。
法律のことは良くわかりませんが、根本的に、
人を裁くのは、
その人が「どれだけ悪いか」では無いのでしょうか?
そして、その基準にすべきなのは、
残虐性と動機だと思います。
恨みつらみで勢いで殺めてしまったり、介護に疲れて・・・というのと、
命乞いしている人をそれこそ血も涙もないやり方で殺すのとでは残虐性が全く違います。
実は死刑制度を取らない国も多く、先進国では多くの国で死刑制度は廃止されているそうです。
ただ、米国ではちょうど今年、16年ぶりに死刑を執行するという話も合ったようです。
死刑制度を存続すべきかどうかは非常に難しい問題だと思いますが、個人的には上記にあげた残虐な殺人は死刑以外に考えられません。
それに、新幹線の事件についても、一人でも殺せば死刑になり得るという事を、事件を起こした本人が認識していればこの事件は起きなかったかもしれません。
だから、死刑制度は一定の抑止力があると思いますし、人数に関係なく、残虐な殺人や動機によっては一人であっても死刑にすべきです。
何度も死刑死刑と書いていたら気分が悪くなりました。
最後に、このような事件に巻き込まれてしまった被害者の方へは、私なんかが何を言っても無意味で、私も何をどう言えば良いのかわかりませんが、とにかく、辛かっただろうなと、怖かっただろうなと。
そして遺族の方のお気持ちを思うと、本当に言葉にできません。
ただただ、このような事件が無くなること・・・
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